お知らせ・コラム

奇跡講座は難しい? 読んでも人生が変わらないのは?これが原因。

今週の「奇跡のコース(奇跡講座)のテキストを読んでみよう」では、
五章IV1−3を読みました。

参加者の方に 一行一行意味をお聞きして、
理解を深めるようにしています。

そこで、気づくのは、
表面をなぞっているだけで、中身を理解するのはかなり難しいんだなってことです。

これは、よーくよーくわかります。
私自身が、読んでも読んでも
「で?結局なんですか?」って
ながーいこと思っていたのですから。

奇跡のコースに書かれていることを本当に理解するには、
今、ここに書かれていることが本当は何を意味するのか?と、
ひとつひとつ日常に当てはめることが大切です。

たとえば、今回のクラスで読んだ1段落の7と8。
⁷善なるものは、創造を代弁する声である聖霊から生じるので、決して失われない。
⁸善でないものは創造されたことはなく、したがって、それを保護することはできない。
を例に挙げると

善でないものは創造されたことはなく、、、って書いてあって、
そうか、「自我」や「自我の持つ妬み、憎しみ、怒りなどの感情」は 創造されていないのね!
っていっても、なんの意味もありませんよね。
全然 自分ごとに降りてきていないわけです。

そうじゃなくて、
「今日あるいは最近私はどんな「善でない」思いを持ったかなぁ?」と考えるってことです。

今回クラス中にこんなことがありました。

近所を暴走族のバイクが、ものすごい爆音を発して通っていきました。
もちろん「もう!うるさい。本当に迷惑なヤカラだ!」
このバイクだいたい毎日爆音を立てて通過しますので、
「毎日毎日本当にうるさい。消えてくれ!」とか、わたしは思います。

これは、もう典型的攻撃の思いです。

それも
「まずは向こうが攻撃を仕掛けているから、この反撃の思いは正当である」
という厄介な攻撃の思いです。

これは、善なる思いでしょうか?ってことです。
全然善じゃないですよね。

クラスでちょうど、善じゃない思いとは?と話していたから、
「あ、これは善じゃない!!!」と気が付きましたが、
日常だったらどうでしょうか?
覚えているのは、「うるさい、迷惑な奴がいた!」になりがちじゃないでしょうか?

そういう「善でない思い」は、毎日の暮らしの中で
私たちの心の中でピックアップされずに埋もれています。
そういう心の動きのひとつひとつをacimの文章にはめ込みながら読むと、
ぐぐっと分かりやすくなっていきます。

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奇跡講座 テキストを読んでみようページ

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